わたくしと「はやぶさ」

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数えてみたら5回は乗っています。すべてB寝台。一度A寝台というものに乗ってみたかった。


・小学校上がる前に親と。食堂車が健在だったとき。具のないカレー(レストラン的な)食べたのは初めてだったのでいまだに記憶に残っている。
・つくば万博の時に往路弟と一緒に。まだ食堂車は残っていたような記憶がある。何食べたかどうかは覚えていない。富士宮あたりまで一緒だった親子連れに大変お世話になりました。
・学生のころ一人で。食堂車が廃止(1991年)された後。旧食堂車がサロンになっていて夜中ボケボケ過ごせたのがよかった。車内販売がないのを知らなくて弁当の予約しなかったのを大変後悔した。
・学生のころ今のダンナと(1997年頃)。夜中眠れなくて朝横浜過ぎて目が覚めて大変焦った。
・就職してから東京=>熊本帰るのに一度使ったなあ(1998年頃)。そういえば。


年を経るごとに車内さびしくなっていったのが印象的でした。女性が一人で乗るのはちょっとはばかられるような雰囲気。それこそ女性専用(優先)車両作ればよいのに、と思った(車掌さんが常駐してたりして)。今の深夜高速バスは女性専用便というのが設定されてたりします。フェリーの二等とか痴漢多いらしい。
今思うと、小学校中低学年の子供だけでブルトレ乗せんなよ>親。
その当時はまだ子供だけで公共の交通機関に乗せることに社会的に寛容な時代だったので、小学校上がる前(幼稚園年長)も一人飛行機に乗せられて、2週間ほど千葉の叔母の家にホームステイ(里子ともいう)に出されていました。今は小学校上がる前は×です。残念ながら。
鹿児島本線九州新幹線になってほとんどトンネルで地下鉄状態で旅情も減ったくれもないわ弁当喰う余裕もないわで、鉄道が単なる移動手段となってて残念だなあ、とおもいます。
スペインのタルゴみたいなのんびりゆったり列車があってもいいのになー(新婚旅行で急行マドリッド-バルセロナ間で乗ったのがよい思い出)。
旅行はプランニングしている間と目的地へ移動している間が楽しいんじゃないか。いざ目的地着いたら「終わった」感が襲ってきて何か物足りない気分の、わたくし。