「テイクダウン」の父から「ノーベル化学賞」の息子へ

昨日(10/8)「アンパンマンくらぶ」を夕飯の支度しながら見てたら、速報のテロップで唐突に下村脩氏のノーベル化学賞受賞を知りました。
ノーベル化学賞に下村脩先生
下村脩氏の名前は、「テイクダウン」の著者である下村努氏のことを調べていて知りました。高校を飛び級してCaltechに入学し、しかも卒業しないうちからロスアラモス研究所で先生として物理学を教えていた、なんて息子を持つ親は何者?てな感じで知ったのがきっかけだったか。
バイオをやっている人には結構有名な人みたいですね。wikipediaのページも今まではすっかすかでしたが、これからいろいろな業績が追加されてページが充実していくことでしょう。

今年の物理学賞の御三方もそうでしたが、今回の受賞者は皆、海外の著名な賞を受賞する前に日本国内で業績が評価されて賞をもらっております。下村脩氏の場合は去年の朝日賞。
下村脩先生の朝日賞受賞が決定
世界最高峰の賞を受賞した後で国内の賞をあげる、というのも非常に恰好が悪いものなので、この点がまことに喜ばしい。

今年の受賞者の日本人四人のうち御二方は40年以上も米国在住で、南部陽一郎氏に至っては米国籍を取得しています。日本の頭脳の海外流出についていろいろ言及されていますが、当時の研究環境を考えればしようがないかな、と。下村脩氏は疎開先の長崎で今の長崎大学薬学部に入学しておられますが、長崎への原爆投下によって市内の大学設備は壊滅状態、諫早にあった施設でどうにか学生生活を送り、卒業後には実験実習指導員としての職を得ておられます。学位を取得したのは、名古屋大研究生、長崎大学助手の職を経て、フルブライト留学生としてプリンストン大学での留学後、名古屋大学に戻った9年後。んでもって、ようやく助教授としてまともな収入を得られるようになった(と思われる)のは1963年(卒業12年後)。

苦労人だ。

アメリカ留学といっても、当時のアジア人留学生は労働力の一つとして見られていたようで、大変な苦労をされていたようです(コキ使われていた)。学位取得後、助教授職を棄てて再び渡米したのは「思うように研究できなかったから(やらせてもらえなかった?)」。研究者魂です。奥様も長崎大学薬学部の出身で夫婦で研究者。家族で旅行に行くこともなく、週末恒例家族総出の「クラゲ狩り」が唯一のレジャー(?)で採りも採ったり約85万匹。子供は嫌がっていた、とのことで、息子さんの下村努氏のコメントも聞いてみたい気がします。

とにもかくにもノーベル化学賞受賞、おめでとうございます。すっかり腐ってしまったとはいえ、化学をかじった身としては大変うれしいニュースでした。旧帝大出身以外のしかも地方大学の出身者としては初めてのノーベル賞受賞者ということもさらに明るい要素であると思います。

以上情報ソースはwikipedia:下村脩日本経済新聞10/9朝刊夕刊(保存しとこ)でした。